サンタさんからのプレゼント
唐突ではありますが、今回のコラムをもって勝手ながらしばらくの間、
産・育児休暇を頂きます。
このコラムを友人である店長から引き受けて今回が9回目となります。
引き受けた当時は桜の花がもうすぐという時期で、娘も1歳半。
産・育児休暇から復職してちょうど1年。
これから手探りながら自分なりの育児と仕事を両立した生活をしようと考えていた時期でした。
二人目については、自分の年齢のことやもろもろのことを考え「欲しい」と思っていた
ものの、現実的ではないと半ば諦めていた時期でもありました。
願っても手に入れられないもの、願って手に入るもの…
大人は勝手に思い込み、判断し、諦めがちなところがあり、
私も「子供は願っても手に入らないもの」と思い込み心を封じ込んでいました。
ところが時期外れのサンタクロースの大きなプレゼントが我が家に届き、
来年二月に誕生予定の小さな命を授かりました。
「サンタクロースからのプレゼントは何がいい?」
とその当時の私に問われたら、本当の思いを胸に閉じ込めきっと現実的に
手に届きそうなものを答え、
核心は告げずに答えずにいたと思います。大人の醜さです。
ところが子供に同じことを聞くと純粋に欲しいもの、好きなものを現実的であろうと
なかろうと答えてくれます。
我が家の娘は現在2歳3ヶ月。
分かったような分かっていないような答えで日々答えは変わりますが、
それでもその時彼女が興味を抱き、願っていると思われるものを答えてくれます。
ある時は「どんぐり」であったり「自転車」であったり「パン」であったり・・・様々です。
それでも子供の心はなんて純粋なんだと自分の、大人の汚れた心を反省しています。
昨年はほとんど興味を示さなかった娘も、街にクリスマスデコレーションが目立ち始めた頃から急に
クリスマスに対して興味を抱くようになりました。
保育園で習っているのか「ジングルベル」の歌も上手に歌えるようになりました。
季節を感じて欲しいという親としての勝手な願いもあり、季節の行事には我が家なりの
楽しみ方を演出していますが、
その一環として今年、我が家もクリスマスツリーを購入しました。
「クリスマスツリーはもみの木あるいは常緑の針葉樹」が使われている意味として
「針葉樹はクリスマスシーズンの冬でも緑が保たれ、生命力が強いから」という程度は知っていたのですが、
もともとは「りんごの木」であったのはご存知ですか?
もちろん諸説あるので、その中の一説とは思いますが、クリスマスという行事が重んじられる
キリスト教においては、もともとは「善悪の樹=りんごの樹」が由来だったそうです。
善悪の樹とは、聖書の中で人類の先祖であると言われるアダムとイブが
神様の教えを破り食べてしまった「りんごの樹」のことです。
キリスト生誕のお祝いであるクリスマスに使う木としてもともとはその「りんごの樹」であったものの、
りんごは冬の間は葉っぱがないのでその代用として「モミの木」になったようです。
今までなんてことも思っていなかった、クリスマスツリーのオーナメントにりんごがあるのは
そういう意味であったのだとツリーを購入するにあたり、ちょっと気になり調べたところ
そういうエピソードを目にしてビックリしました。
勝手な解釈ではありますが、そんな善悪の樹の下にクリスマスの夜に届けられるプレゼント。
純粋な子供にとっては一年間良い子にしたご褒美であり、「大好きな人」からのプレゼント。
穢れがない、嘘偽りのない「善」の象徴。
たくさんの愛情がそこにはつまっていて、まさに「邪心のない」品々です。
一方、一時期のバブル時代に比べると陰は潜みましたが、大人のクリスマスプレゼントは
見栄が一杯の内容であったり、本当に欲しいものを隠して表面を取り繕う、繕わなければならないもので
あったりすることが多い気がします。
本心を隠し、他人を気にして取り繕う「悪」というには語弊があるかもしれませんが、
大人へのプレゼントは一種の「邪悪の塊」だったりする悲しい現実。
本心を隠し、調和を図ることは必要な立ち振る舞いであり、
「自分の本音を上手に隠す」ことが大人になった証なのかもしれません。
なんとも皮肉ながら「善悪の樹」であるツリーの意味も勝手な解釈ながら
今の私の身に置き換えて考えると納得してしまう部分があります。
話は戻りますが、私にとって最高のプレゼントは思いがけず2007年に届き、
そのプレゼントの箱を2月上旬に開封する予定です。
思いを押し込め、閉じ込めていた邪悪な私にもサンタクロースはやってきました。
叶わない・・・と諦めてしまうことも大人としての立派な選択かもしれません。
でも、多々の問題、声があったにも関らず、諦めずに前進し突き進んだからこそ
このプレゼントが舞い込んだと信じています。
アダムとイブがもしもりんごの実を食べなかったら・・・
生憎、信心深くない私は宗教的、専門的な解釈は出来ません。
しかしながら、もしもりんごの実を食べなかったら人間は苦もなく、邪心のない
子供のような心で欲しいものは全て手に入れ、何不自由のない楽園生活を送れたのかもしれません。
でも、アダムとイブはりんごの実を食べてしまい、邪悪な心も、苦痛も個々人に与えられた
辛い人生を与えられてしまいました。
だからこそ誰にでも「悪」は潜み、自分の中にある「邪悪」を認め、
自分が自分らしく生きられるように、自分にとっての楽園を築けるように
「願い」「目標」をもって頑張らないといけないのだと改めて今、思います。
皆さんのところにはどんなクリスマスプレゼントが届きますか?
サンタクロースに何を願いますか?
きっと願いは叶うと思います。
叶わなくてもそれに向かう過程、努力はきっと無駄にはならないと信じています。
私のコラムの根幹「ワーキングママ」生活は今年一杯で一旦コラムと同時に休業します。
私にとって自分らしくあるために「育児」はもちろん大前提ではありますが、
何かしら社会とのつながりを持ちたいという願望があるので、
出産後の生活が落ち着いたら再び何かの「仕事」に就きたいと考えています。
「育児」と「仕事」のバランス。これは人それぞれであり、
「第二子」に続く私の貪欲な願いなのかもしれません。
そしてまだまだ少子化対策、女性の社会進出と叫ばれている一方で
現実には働く母親の苦労は尽きません。
でも、私が私らしく、そして子供と100%で向き合えるためのライフプランは
「ワーキングママ」が根底にあると信じています。
逆風、試練はいろいろと待ち受けているとは思いますが、
次にもしも皆様にお会いする時は、次の目標に向かい自分なりの生活が
軌道に乗った生活の中で何かしらの発信が出来たらなぁと思っています。
短い間でしたが、月に一度私自身の生活を振り返るよい機会でした。
平凡なワーキングママのつまらない戯言にお付き合い頂いた読者の方々に
心からお礼申し上げます。
また、最後に、この場を提供してくださった友人でもある店長にも感謝します。
次、いつお会いすることになるか分かりませんが、その時までごきげんよう。
12月15日


































